うさぎ ご無沙汰しています。納税通知まっただ中です。
うさぎ はまもなく山形県酒田市へ市県民税だったかな?を引き取りに出発します。

酒田市と言えば米どころです。どこまでも続く地平線です。一説によるとゴビ砂漠の3倍の面積と言われています・・・。

さて、先回のブログで当社が入札に参加したのは酒田市役所様だったと白状しました・・・。

本当に今まで検査したかったことや理想としていた作業を具現化できて感無量です。
まだまだ改良の余地はあると思いますが・・・。
お仕事で行っていますが、色々と見聞して今ではかなり「酒田市ラブハートです。」

という事で今日は久々に本気で出張ブログです。

もちろんここからはいつも通り・・・、申し訳ございません・・・。出張ブログです・・・。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・


酒田市の前に鎮座する大獅子です。
この大獅子は酒田市の大火復興を記念し、繁栄と防災の願いを込めて製作されました。
酒田まつり行列の中心とするとともに酒田市のシンボルとして展示されています。
山形では正月祭典には奉納行事として欠かせない存在です。



酒田市は過去に大火は・・・・
昭和51年10月29日夕刻
   酒田市内中心部の商店街で発生した火災は、
   おりからの強風にあおられ、22.5haを焼き尽くす大火となりました。
   
市役所のホームページからも見ることができます。
http://www.city.sakata.lg.jp/sakata_tmp/taika/index.html

この経験から、復興都市計画や住民対策、住宅街の復興、商店街の再編と復興と真剣に取り組んできたことが分かります。
また、うさぎ は酒田市資料館でも大火については拝見しました。
規模は違いますが、復興と行政の関わりについては、今こそ多いに参考にするべきと感じました。

さてどこで撮影したかが分からないのですが・・・、酒田市と言えば米以外にも"港"です。

江戸時代、西廻り航路で北前船の往来をした港町酒田は米や紅花などの取引で賑わいました。その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」と言われるほどでした。
当時は大阪への商取引は船で行われていていました。
そんな港町の勢いは無くなってしまいましたが、今でもその面影は残っています。

酒田市の市章や港のシンボルは大変すぐれていて、とても分かりやすいと思いました。デザインもカッコイイと思います。




酒田駅前には船のモニュメントも有ります。写真では船底と喫水線までしか写っていませんが・・・。


本日はここまでです。マンホールにはまだまだたどり着けないです。
予告ですが、酒田市はマンホールすごいですよ。

美しいマンホールが有りましたら是非ご連絡ください。取材に伺わせていただきます。
また日本マンホール研究会では研究員を募集しています。

HPの問い合わせ先から普通にメールをください。件名には「日本マンホール研究会」宛と書いてください。
日本マンホール研究会は日本の美しい風景や歴史、地域に根ざした、美しいマンホールを研究しています。

女性 「今回はマンホールの事は書いてないでしょ!」怒
しょぼんしょぼん・・・。



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