更新日:2014,05,28,Wednesday 更新者:ezawa
南洲神社
先日酒田市役所へ納品の際、飯森山公園の土門拳記念館へ見学したことの、お礼と報告、をしたのですが、
飯森山の隣に南洲神社があるの知ってる?って聞かれました。その時の会話・・・。
神社があるのは分かりましたが・・・・。
西郷隆盛さんが祀ってあるんだよ・・・。
私本当に歴史に弱く、不勉強と反省する毎日です・・・。
南洲というのが西郷隆盛のことすら知りませんでした。
早速取材に行って参りました。敬礼
ここから先は・・・・
申し訳ございません・・・。出張ブログです・・・。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・
西郷さんは全国で4つの神社に祀られています。生まれ故郷である鹿児島市、3度目の流刑地である沖永良部島、宮崎県都城市(1877の西南戦争激戦地?)、山形県酒田市です。
沖永良部では屋根と囲いだけがある牢獄から子供たちに教育をしたそうです。
南洲神社は西郷さんに関係する場所に祀られているのですが、酒田市とも大きく関わっています。
幕末1866年に西郷隆盛と坂本龍馬は薩長同盟を結び幕府と戦う(戊辰戦争)
庄内藩は幕府側について官軍に抵抗したが、会津、米沢、などが官軍に降伏し、厳しい処分が科された。
庄内藩も1868年9月26日に降伏し、藩主以下厳しい処分を覚悟したが、寛大な処分であった。
これは後に西郷隆盛が指示をしたという事が分かり、庄内の人が西郷の教えを受けに鹿児島を訪れた。
とのことです。
戊辰(ぼしん)の役で庄内藩が官軍に降伏した際、西郷は少しも勝利におごらず藩主の面目を傷つけないよう気配りしました。
男の美学です。とうとう美学シリーズになるのか・・。
そこで思い出したのが、乃木希典大将です。
旅順要塞を陥落させた乃木は要塞司令官ステッセリに対して極めて紳士的に接した。
こうした乃木の振る舞いは、旅順要塞を攻略した武功と併せて世界的に報道され賞賛された・・・・とあります。
過去ブログhttp://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=342
乃木大将は歩兵第14連隊長心得として西南戦争に参加。日本最後の内戦、西南戦争で西郷隆盛と戦っています。
敵であっても西郷隆盛と同じ考えなのだと気がつきました。
この西南戦争で軍旗を奪われたことに対する自責の念が明治天皇大葬が行われた日に自刃することになった。
さて南洲神社ですが、数々の遺品があります。
旧庄内藩士の人々が鹿児島へ訪れた際、西郷先生との別れの際に、今で言うところの「先生の直筆サイン」を頂いたらしいのですが、昔のことですので色紙ではなく、巻物に書いていただいたのですが、これらを遺族の方から譲り受け展示されています。掛け軸として展示されています。
鳥羽伏見の戦いで天皇から頂いた品々、勝海舟と江戸城開城の談判をした時に持参した鉄扇など。
是非見ていただきたいと思います。
また毎月第二土曜日には西郷先生の残された教えやその他題材を元に「人間学」の勉強会が行われています。
は初めて西郷隆盛という人を知ってみようという気になりました。
また館内の職員の方々の西郷の教えに対する熱い気持ちや私への丁寧な説明、本当にありがとうございました。
ちなみに庄内軍は豪商本間家の経済的な支援、また最新式武器などにより、一度も負けずに降伏しました。
さて本日はデータの引き取りで酒田市へ出発です。
今回は時間がなくてなんと飛行機+レンタカーです。
たまには電車で・・・と思って調べてみたら併用12時間とか特急利用17時間とかかかります。
「いや~酒田市って意外に遠いんですね・・・。車で8時間が一番良いかも・・・。運転好きだから。疲れるけど・・・。」
「気がつくのが遅い」
それと・・・「初登場の酒田市役所の方がっていうのもどうかと・・・・」
「迷ったんですよ・・・、、、この中ならでしょ。」
先日酒田市役所へ納品の際、飯森山公園の土門拳記念館へ見学したことの、お礼と報告、をしたのですが、
飯森山の隣に南洲神社があるの知ってる?って聞かれました。その時の会話・・・。
神社があるのは分かりましたが・・・・。
西郷隆盛さんが祀ってあるんだよ・・・。
私本当に歴史に弱く、不勉強と反省する毎日です・・・。
南洲というのが西郷隆盛のことすら知りませんでした。
早速取材に行って参りました。敬礼
ここから先は・・・・
申し訳ございません・・・。出張ブログです・・・。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・
西郷さんは全国で4つの神社に祀られています。生まれ故郷である鹿児島市、3度目の流刑地である沖永良部島、宮崎県都城市(1877の西南戦争激戦地?)、山形県酒田市です。
沖永良部では屋根と囲いだけがある牢獄から子供たちに教育をしたそうです。
南洲神社は西郷さんに関係する場所に祀られているのですが、酒田市とも大きく関わっています。
幕末1866年に西郷隆盛と坂本龍馬は薩長同盟を結び幕府と戦う(戊辰戦争)
庄内藩は幕府側について官軍に抵抗したが、会津、米沢、などが官軍に降伏し、厳しい処分が科された。
庄内藩も1868年9月26日に降伏し、藩主以下厳しい処分を覚悟したが、寛大な処分であった。
これは後に西郷隆盛が指示をしたという事が分かり、庄内の人が西郷の教えを受けに鹿児島を訪れた。
とのことです。
戊辰(ぼしん)の役で庄内藩が官軍に降伏した際、西郷は少しも勝利におごらず藩主の面目を傷つけないよう気配りしました。
男の美学です。とうとう美学シリーズになるのか・・。
そこで思い出したのが、乃木希典大将です。
旅順要塞を陥落させた乃木は要塞司令官ステッセリに対して極めて紳士的に接した。
こうした乃木の振る舞いは、旅順要塞を攻略した武功と併せて世界的に報道され賞賛された・・・・とあります。
過去ブログhttp://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=342
乃木大将は歩兵第14連隊長心得として西南戦争に参加。日本最後の内戦、西南戦争で西郷隆盛と戦っています。
敵であっても西郷隆盛と同じ考えなのだと気がつきました。
この西南戦争で軍旗を奪われたことに対する自責の念が明治天皇大葬が行われた日に自刃することになった。
さて南洲神社ですが、数々の遺品があります。
旧庄内藩士の人々が鹿児島へ訪れた際、西郷先生との別れの際に、今で言うところの「先生の直筆サイン」を頂いたらしいのですが、昔のことですので色紙ではなく、巻物に書いていただいたのですが、これらを遺族の方から譲り受け展示されています。掛け軸として展示されています。
鳥羽伏見の戦いで天皇から頂いた品々、勝海舟と江戸城開城の談判をした時に持参した鉄扇など。
是非見ていただきたいと思います。
また毎月第二土曜日には西郷先生の残された教えやその他題材を元に「人間学」の勉強会が行われています。
は初めて西郷隆盛という人を知ってみようという気になりました。
また館内の職員の方々の西郷の教えに対する熱い気持ちや私への丁寧な説明、本当にありがとうございました。
ちなみに庄内軍は豪商本間家の経済的な支援、また最新式武器などにより、一度も負けずに降伏しました。
さて本日はデータの引き取りで酒田市へ出発です。
今回は時間がなくてなんと飛行機+レンタカーです。
たまには電車で・・・と思って調べてみたら併用12時間とか特急利用17時間とかかかります。
「いや~酒田市って意外に遠いんですね・・・。車で8時間が一番良いかも・・・。運転好きだから。疲れるけど・・・。」
「気がつくのが遅い」
それと・・・「初登場の酒田市役所の方がっていうのもどうかと・・・・」
「迷ったんですよ・・・、、、この中ならでしょ。」
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| ブログ::出張はつらいよ | 02:45 AM |
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