うさぎ 前回は伊賀、甲賀忍者についてでしたが・・・
ところで・・・この話、実は酒田市に繫がりますので・・・。

女性 どーやっても繫がらないように思えますが・・・。

うさぎ 繫がるんですよ。風が吹けば桶屋が儲かる理論です。

うさぎ 偶然昨夜、探検バクモンで伊賀忍者について放送していました・・・。
忍者屋敷や忍び、武器の手裏剣の使用方法などの紹介をしていました。

うさぎ 私は以前こちらの伊賀上野城と隣接する資料館に行ったことがあります。
忍者資料としてはかなりしっかりしています。
資料として大変参考になりましたが、実は最も印象に残っているのは、ガラスケースに収められた参考文献の中に、吉田竜夫 氏の漫画 「少年忍者部隊月光」 がありました。

これは正確には少年忍者部隊月光が実際の忍者からヒントを得て作られたと思われますが・・・。
前回行った時はリニューアルされていてこの展示が無くなっていましたが・・・。残念です。

さて忍者ですが、(抜粋)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85
忍者・忍術は、源平時代以後に日本で発祥したものである・・・・忍術流派は71流を数え・・・・中でも甲賀や伊賀を本拠としていた忍者集団は有名である。これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと考えられる・・・甲賀と伊賀は、鎌倉時代にはその領地の大半が荘園で木材の供給地だったため守護や地頭による支配を受けなかったが、戦国時代になり荘園が崩壊すると、地侍が数十の勢力に分かれ群雄割拠した。各地侍が勢力を保つため情報収集戦とゲリラ戦が日夜行われ、「忍術」が自然発生したのではないかと考えられている。・・・

伊賀・甲賀・雑賀、さらには柳生・根来等の紀伊半島は、天武天皇が壬申の乱の直前に住んでいた場所であり、後醍醐天皇の南朝がおかれるなど、特殊な霊地が多い。・・・

ということで、ここまでは資料を基にしていますが、調べる課では実地検証(出張)を行っています。
さて実地調査は伊賀ではなく今回は柳生十兵衛の柳生です。(奈良)

柳生十兵衛は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた柳生但馬守宗矩の長男で、同じく家光の剣指南役をしていましたが、家光との関係に障害がでて、(参考文献参照http://www.ffortune.net/social/people/nihon-edo/yagyu-zyube.htm後に諸国を漫遊。
やがて郷里の伊賀・正木坂で道場を開き1万人以上の弟子に剣術を指南しました。・・・・(抜粋)

 新陰流(しんかげりゅう)は上泉伊勢守信綱が戦国末期に編み出した剣術で、二世の柳生石舟斎宗厳以降、柳生家に伝えられたため、柳生新陰流とも呼ばれます。江戸時代には将軍家だけが学ぶお留め技とされ、一般への伝授が禁じられていたようです。

ニヒル ほー・・・江戸時代の剣士と言えば北辰一刀流が有名ですが・・・。
うさぎ それは武術を地位に関係なく広めた千葉周作ですが、彼が活躍したのは江戸後期です。
門下生としては坂本龍馬や赤銅鈴之介が・・・・。
女性 えー・・一部フィクションがはいっています。

という事で柳生です。えい!どこでもドア!!

つづく・・・


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