うさぎ またまたご無沙汰してしまいました。
今回は先日(と言ってもだいぶ時間が経ってしまいましたが・・・。)ビックサイトで開催されましたJGAS2013についてのレポートです。
JGASはIGASと2年ごとに開催されている日本最大の印刷機材や関連商品や技術の機材展です。
この展示で私が毎回楽しみにしているブースは大学の研究室のブースなのですが、その中でも千葉大学大学院 小関研究室の展示は必ず見に行くことにしています。
過去の千葉大学に関するブログ  http://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=99
今回、千葉大学と大学名を出していますが、一応許可を頂きました。

うさぎの仕事や作っているものとは全く関係のない液晶ディスプレイについての研究です。
2年に一度しか、その進化を確認できないのですが、個人的にはとても楽しみなブースです。

なかなか興味深いですが、難しいことしているなぁ・・・。でもかなり簡単に説明してくださったのですが、私の力不足で・・・。
私は難しいことに触れているのが好きなんです。分からなくても・・・。

液晶を従来の液体封止のディスプレイから液晶のマイクロカプセル化によりディスプレイの構造を多膜構造を少なくでき、これにより曲げられるだけでなく、フレキシブルなデザインが可能になる。構造の単純化により高輝度、広視野角なディスプレイが可能になる。という研究です。
うさぎからみれば2年分の研究を見ることになるので、素人目にも「お~・・」というくらい進化していることが分かります。
こういった研究やちょっとだけ未来の実用間近の技術なんかを見るのが展示会の楽しみ・・・・、だったのですが、今年のJGASは展示規模、面積、各社展示「今一歩・・・。」と言うものでした。もちろん頑張っている展示もありますが・・・。
まぁ全体としてのうさぎの主観ですので・・・。
その点モーターショーはデビュー間近だったり、コンセプトカーのような「このままじゃ市販は無理なんじゃ・・・」みたいなのが面白いのです。

さて今回のJGASは残念なことにとても規模が縮小していました。ここにはまったくアベノミクスの恩恵はないです。
印刷関連の資料によれば、売り上げ、単価、設備投資額、がマイナスで、人件費がアップという資料もあります。
今年印刷機の展示より、プリンターの展示の規模が拡大していたと思います。

当社は昭和情報機器のプリンターのユーザーですが、ご存じのように昭和情報機器はキャノンマーケティングジャパンのグループになりました。
今後は同じグループのオセと共にますます頑張っていただきたいと思います。

びっくりしたのはオセ中低速プリンターで納税通知書のデモ印字が行われていたのですが、その上のモニターでは弊社のEZFの納税通知書の封入作業の様子が上映されていました。
まぁここまでは、テスト用紙で封入の撮影は良くある話なので良いのですが、画面をよ~く見ると
 EZフィーダー 江澤事務器
と画面にでているではありませんか・・・・。
ちょっと恥ずかしかったです。
画面は綺麗だけど「撮影するならガムテープとか剥がして綺麗に掃除して撮影してよね!!」 「画像がやけに綺麗だから機械が汚いのが目立ちます!!」ってカメラマンの当社にわとりにクレームを言ったら、
「使用したカメラはキヤノン製ですから・・見えすぎて困ることもあります。」
みなさんビデオカメラはキャノンです。

うさぎ こんにちは。今回はやなせたかしさんが幼少の頃過ごした、高知県の後免町(ごめん 現・南国市)の紹介です。

生誕地は東京だが、5才の時、父が死去。そのため伯父に引き取られ、幼少期を後免町で過ごしました。

やなせさんの出身校である御免野田小学校にはこのような碑があります。是非読んでいただきたいです。画像をクリックすると拡大できます。


アンパンマンミュージアムにはアンパンマンの手形があります。


アンパンマンの実物マントもあります。大変貴重です。(画像が良くないです・・・。)

実物大アンパンマンもお出迎え。

「登ったら危ないよ」  アンパンマンビクト君もあります。


ごめんの街角には実物大ジャムおじさんがお出迎え。


そしてアンパンマンマンホール しかも2種
  

アンパンマンの町ごめんはなぜか優しくなれます・・・。

ごめん町の取材日は2年くらい前か・・・もっと前かもです。

<美しいマンホールが有りましたら是非ご連絡ください。伺わせていただきます。>

HPの問い合わせ先から普通にメールをください。件名には「日本マンホール研究会」宛と書いてください。
日本マンホール研究会は日本の美しい風景や歴史、地域に根ざした、美しいマンホールを研究しています。

うさぎ やなせたかしさんが亡くなりました。
過去に多治見市のゆるキャラ「うながっぱ」を取材した時に作者がやなせたかしさんと知りました。
関連ブログ http://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=207

やなせたかしさんは高知県後免町(ごめん)で幼少を過ごしました。
戦争では宣伝ビラの制作を担当し戦争の正義の身勝手さやいい加減さを思い、弟を戦争で亡くしていることから反戦主義となったようです。
また戦中、戦後と空腹に耐えたが「人生で一番つらいことは食べられないこと」と考えたようです。

またこれらの思いから
「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」  第1作『あんぱんまん』のあとがきより
という考えを持ったようです。
空腹のものには自らの体を与える。例え自分が傷ついても・・・・、これが やなせたかし さんとアンパンマンの貫いた正義だと思います。

ご冥福をお祈りします。



女性こんにちは、広報委員4番です。
日増しに秋も深まり、秋風が冷たく感じるようになってきました。
この寒暖差にさっそく風邪を引いてしまいました。私の意志とは関係なく鼻水が勝手にタラ~っと・・・鼻の下が痛いです。

さて、前回の和歌山観光の続きです。

 二日目、せっかく和歌山に来たのだから海を見て帰らないと!と足を延ばしまし、白浜を縁取る海岸線をゆっくりドライブしました。
まず、立ち寄ったのが千畳敷という景勝地です。そこは広い岩畳を思わせる大岩盤で、瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突きだしたスロープ状になった白く柔らかい岩は第3紀層の砂岩からなる大岩盤で、打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っています。その広さはおよそ4ヘクタールもあり、畳を千枚敷けるほどの広さであることが名前の由来だそうです。岩盤の上を歩くことが出来るので、みんな普通に歩いているので、どれどれと歩いてみましたが不安定な足場と大波が怖い!!どこかの映画会社の映画の始まりの様な大波なんですよ。いや~怖かったです。

次に白良浜に寄りました。白い砂浜と魚が見える透き通った海水、名古屋の周りの海はあまりきれいではないのでとても驚きました。さすが、日本の渚百選に選ばれた海岸だけあります。8月終わりだったので、もう泳げないだろうと思っていましたが、まだ普通に海水浴を楽しんでいるひとが沢山いました。私は海水が苦手なので、きれいな海を見ただけで満足です。

お昼ごはんは、和歌山ラーメンと決めていました。ラーメン食べ歩きマップがあり、それを片手に食べ歩きをしている人たちを大勢、見かけました。マップには57軒ものお店が載っているので、どこにしようか迷ってしまいます。我が家は、井出商店というお店にしました。全国各地からお客さんが訪れ、週末となれば長蛇の列になるお店で新横浜ラーメン博物館にも出店しているそうです。味はとんこつ醤油のスープに細麺で、具はチャーシュー、かまぼこ、メンマ、ネギと至ってシンプルで素朴な味わいでした。どこのお店もテーブルには早ずしや(早ずしとは鯖の押し寿司のことで和歌山の特産品)ゆで玉子が置いてあり、井出商店さんは巻き寿司がありました。大きさはコンビニの手巻き寿司くらいなので、箸休めにはちょうどいい大きさでしたね。

最後に以前、テレビで見て行ってみたいと思っていた和歌山電鐵貴志川線の終点『貴志駅』に行きました。和歌山駅から貴志駅までわずか14・3キロの路線です。貴志駅には「たま」という三毛猫の駅長がいるのです。
たま駅長は、もともと貴志駅の売店「小山商店」で飼われていた三毛猫で、この線の経営が南海電気鉄道から現在の和歌山電鐵に変わった時、たま達が住んでいた猫の飼育小屋の立ち退きを言い渡されてしまい、困った飼い主さんが開業記念式典が終わった後に和歌山電鐵社長に猫たちを貴志駅の中に住まわせてもらえないかと頼んだところ、社長が「この猫を駅長にしたらおもしろい」と思い、貴志駅駅長に任命されたそうです。もう一匹、たま駅長に代って週末駅長を務める「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」にたま駅長と同じ三毛猫「ニタマ」もいます。ニタマという名前は「たまに似た二番目の駅長猫」に由来しているそうです。「2番目のたま」だと思ったら、似てるの「ニ」なんですね。
たま駅長はというと自由に駅舎の中を歩いているのを想像していたのですが、駅長室というケージの中で寝ていました。命じられた任務は「客寄せ」だから、寝ていても仕事中ということです。
たまのいる、貴志駅・駅舎は世界で唯一、檜皮葺きの、しかも猫の顔をした屋根を持つ駅。宮崎駿監督の映画に出てきそうな建物でした。猫バスが停まりそう・・・


一日に数本、「たま電車」以外に「いちご電車」「おもちゃ電車」という電車も運行していて、おもちゃ電車の中にはガチャガチャもあるそうです!!おもちゃ電車は運休していて実際には見れませんでした。たま電車は、車内も猫だらけでしたよ。「る~るる・るるる・る~るるる・るる・・・♪」鉄子さん、行ってみたくなりましたか??

  



うさぎ 7日の医学・生理学賞から14日の経済学賞までノーベル賞週間です。

今回のノーベル物理学賞受賞は昨年のヒッグス粒子発見がきっかけですが、受賞者のヒッグス粒子予想を実験により予想通り発見したことが重要であり、実験には浜松ホトニクスが大きく関係しています。

浜松ホトニクスとノーベル賞に関しては、
2002年に東京大学特別栄誉教授 小柴昌俊 氏が受賞した際は浜松ホトニクス様の製品は岐阜県の実験施設「スーパーカミオカンデ」のニュートリノの検出に 「浜松ホトニクス 電子管事業部製 光電子倍増管」 が使用されました。

スーパーカミオカンデの実験概要はこちら
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/intro.html
うさぎ ・・・・スーパーカミオカンデでは、この未発見の陽子崩壊現象を探索しています。陽子崩壊が発見されれば、大統一理論が実証されます。と書いてありますが高校理科1物理の うさぎ ではさっぱり分かりません・・・。


今回のノーベル物理学賞は、物質に重さを与える粒子を予言したイギリスのピーター・ヒッグス名誉教授と、ベルギーのフランソワ・アングレール名誉教授の2人でした。

以下、抜粋 NHK NEWS webより 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131008/k10015131701000.html
2人は、すべての物質に「質量」を与える「ヒッグス粒子」の存在を1964年に予言しました。
ヒッグス氏らの理論によればおよそ138億年前、宇宙が誕生したビッグバンの大爆発によって生み出された大量の素粒子は、当初質量がなく自由に飛び回っていたものの、その後、ヒッグス粒子が宇宙空間をぎっしりと満たしたため素粒子がヒッグス粒子とぶつかることで次第に動きにくくなり、物質を構成しました。
「ヒッグス粒子」は、その後半世紀近くたっても発見されませんでしたが、日本を含めた国際的な研究グループが去年7月、巨大な加速器を使った実験でヒッグス粒子を発見しました。


うさぎ 的にはノーベル賞は「すごいなー。なんか難しい事してるんだろうなー」でしたが・・・・。
重要なのは赤文字部分です。

この巨大な加速器で陽子ををぶつけて飛び出した素粒子を探す・・・・。
でもとっても小さい上にすぐ消えるので発見がなかなか難しいのです。
有るはずだけど・・・・、と予想してるんだけど・・・・。
それを昨年のヒッグス粒子発見によって予想が正しかった事が実験で裏付けられました。
このヒッグス粒子を検出、増幅する電子管に 「浜松ホトニクス 電子管事業部製 光電子倍増管」 が使用されています。

今回のノーベル賞の受賞は50年前に存在を予想した理論屋さんの二人ですが、、予想通りヒッグス粒子が存在した事を実験で立証した実験屋さんの、「理論屋さんの予想と実験屋さんの裏付け」の両方の成果と思います。

受賞者の方はもちろん、各国で研究されている方や実験者の方、そして浜松ホトニクス様にお祝い申し上げます。

YOMIURI ONLINEより抜粋
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/news/20131008-OYT8T01460.htm?from=os4
ヒッグス粒子は、昨年7月にスイス・ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使った実験で見つかった。実験では、LHCで陽子を光速近くまで加速し、正面衝突させて、ビッグバン直後に近い状態を作り出す。その際に飛び出した素粒子のエネルギーを光電子増倍管で検出するなど、LHCの心臓部とも言える部分に、浜松ホトニクスが開発の高感度センサーが利用された。

 微弱な光を電子に変えて電気信号として取り出す光電子増倍管で、浜松ホトニクスは世界シェア(占有率)で9割を超える。小柴教授がニュートリノ観測を行った実験装置「カミオカンデ」でも同社の光電子増倍管が使われるなど、技術の高さでも世界的に知られている。
(2013年10月9日 読売新聞)


当社のUVインクジェットプリンターに浜松ホトニクス製UV-LEDを使用させていただいていることを嬉しく思います。
性能はもちろん宇宙1です。



女性 音符 「る~るる・るるる・る~るる・るるる・・・」
こんにちは広報委員会5です。 今日は鉄子の部屋です。
本日平成25年10月6日は三重県いなべ市にある貨物鉄道博物館の開館10周年記念の日です。

ここ貨物鉄道博物館は、2012年8月25日の日本経済新聞 NIKKEIプラス1にて「気軽に楽しめる鉄道の博物館」の第8位となりました。
ランキングには、鉄道会社などが開館した有料施設など競合の中で、月一回の開館日でしかも入場無料、スタッフは有志での運営にもかかわらず堂々の第8位にランクインです。

1位 鉄道博物館(さいたま市) 708点
大人1000円

2位 梅小路蒸気機関車館(京都市) 372点
高校生以上400円

3位 リニア・鉄道館(名古屋市) 312点
大人1000円

4位 碓氷峠鉄道文化むら(群馬県安中市) 240点
中学生以上500円

5位 東武博物館(東京都墨田区) 228点
大人200円

6位 交通科学博物館(大阪市) 210点
高校生以上400円

7位 九州鉄道記念館(北九州市) 204点
大人300円

8位 貨物鉄道博物館(三重県いなべ市) 120点
 「貨物列車」の専門博物館。屋外に展示された車両はいつでも見学できる。車庫を改装した博物館は毎月第1日曜のみ開館する。
無料


9位 原鉄道模型博物館(横浜市) 114点
大人1000円

10位 地下鉄博物館(東京都江戸川区) 108点
大人210円

 
しかも貨物車を専門とした多分日本で唯一の鉄道博物館です。


スタッフが・・・「次は何時通過の貨物車です。この太平洋セメントの貨物車は唯一稼働しているセメント輸送貨物車です。」すると線路沿いにはカメラの放列です。
画像はクリックで拡大できます。


貨物車も通過の際は速度を落としてサービス?です。三岐鉄道サービス満点です。
テントでは三岐鉄道とJR貨物と鉄道模型屋さんの販売コーナーです。
10月6日発売の三岐鉄道2014カレンダー購入しました。

タンク車と無蓋車の連結してある写真を撮っていると・・・・親子の会話が聞こえてきました・・・。
子 「こっちのタンク車のタム6263よりホッパー車のホサ1の方がいいよね。こっちは無蓋車で中が覗けるからね。」
父 「そうだな。特にこのホサ1は浅野セメントが昭和5年に製造したが歴史を感じるよな」
子 「うん。ホサ1はなんかかっこいいよね。」

という会話をしていました。ほほえましい会話であります。
日本の経済の成長を物流の面で支え、そして引退し、この地で余生を送る・・・。このホサ1を見て、子供ながらにオーラを感じ「かっこいい」と思えたのです。(多分・・・)
こういった文化と歴史を敏感な感性で捉えられる子供が育っている日本の将来は明るいです。


たまに車輌は移動させ、違う車輌を連結したりしますが、タム6263とホサ1は本日はたまたま連結して展示してあります。
タンク車タム6263とホッパー車ホサ1と連結してある写真を撮っていると・・・・なんとタンク車の配備駅は酒田港駅となっているではありませんか・・・。


これは運命でしょうか・・・偶然でしょうか・・・

たまに移動させる事がある展示車輌ですが、このような動力車で移動させています。

横乗りの動力車です。

ちなみに貨物車(貨車)の最初のカタカナ(記号)で何を運ぶかの種類が決まっています。
有蓋車(ユウガイシャ)では汎用車ではハ、冷蔵車はレ、家畜車はカ、であり、
無蓋車(ムガイシャ)では汎用車ではト、コンテナ車はコ、ホッパー車はホ、石炭車はセ・・・・・、
「なんだ、最初の呼び名で記号が決まるんじゃないか?」 というあなたのために・・・・。
車掌車はヨ、事故復旧の救援車はエ、試験用車輌はヤ、などがあります。

女性 「鉄子の部屋」でした。




うさぎ 各方面から「酒田市役所ネタはいつまで続くのか」という問い合わせが殺到しています。
女性 「してません!!」

うさぎ ・・・・北前船は4月から5月には瀬戸内から塩などを運び寄港地でうりさばき、6月から8月は酒田から米、酒、紅花などを積み込み、9月から10月は北海道からニシン〆粕、昆布、魚貝などを運びました。
北前船の西回航路の発達で運輸の重要な港として酒田市は「西は堺、東は酒田」いわれ繁栄しました。
当時の北前船は各寄港地で積み荷を販売し、またその現金で各地で商品を買うという移動マーケットのような商いでした。

港、酒田としての繁栄は、今でも当時の豪商の史跡や美術品の収蔵などでその一端を見ることができます。

酒田の過去そして未来を語る上でとても参考になるのが「海洋センターです。」
私は出張のたびに必ず寄ると行っても過言ではありません。
まぁ鼠ヶ関も確実に寄りますが・・。

うさぎ 海洋センターですが・・・。
酒田港にあります。
まず階段上がると・・・、目に入らないのですが、狭い通路の壁に・・・・。

ニヒル 「ふつうは最初に目にはいるのは・・・という書き出しだと思いますが・・・。」

うさぎ ・・・・通路の裏側の、普通は全く目に入らない場所に国土地理院発行の過去の地形図が貼ってあります。

これにより港の埋め立ての様子など港湾開発でどのように地形が変わったかの変遷が分かりました。

全ての画像はクリックで拡大できます。
大正14年です。
大正14
酒田港は最上川はまだ堤防で南北に分割されていません。
また日和山公園の北西は埋め立て予定地となっています。

すこし時代は進んで昭和36年、
昭和36年
日和山は地図の右下です。北西にあった埋め立て予定地はすでに整備が終わっています。
戦争前後の地形図が無いのですが、この年月でずいぶん港湾整備が進んだと考えられます。
最上川は本流と港湾部分に堤防で仕切られています。


さらに時代は進んで昭和50年、
昭和50年
港湾内の最上川を仕切っている護岸が新たに整備されています。
また酒田市北部の砂丘地に新たに道路が建設されています。
このあたりは現在の風力発電所やリサイクルの設備があるところだと考えられます。

さらに進んで平成10年
平成10年
この25年は最も開発が進んでいます。日和山の対岸川でも新たに道路が建設されています。対岸の岬の形状も異なっています。
昭和50年の時の海岸線は大きく形を変え、地図上でも、四角く人工的に埋め立てられたことが分かります。
また港の奥深くで直角に入っていた入り江は途中まで埋め立てられています。

さらに進んで多分平成12年
多分 平成12 年
市内では大きな変化は見られません。以前の地図では載っていないのですが、この地図では更に北部の地図も表示されていて、海岸線から明らかに近代で開発されたことが分かります。

最後に明治21年
明治 21 年
縮尺が違うので直接に比較はできないですが、大正14年よりもさらに港湾は自然の地形のままと考えられます。

海洋センターでは各時代の港の貴重な写真も展示してあります。

そして酒田市の未来についても海洋センターでは学ぶことができます。
現在の酒田港は平成15年4月にリサイクルポートの指定港となりました。

リサイクルポート港は全国規模で循環型社会の構築のために、広域的なリサイクル施設に対応したネットワークの拠点となる港湾です。
たとえば酒田港にはPCB(ポリ塩化ビフェニル)の無害化とリサイクルの設備が整っています。

PCBは熱に強い、燃えにくい、電気を通さない、水に溶けない、等の性質を持つ油の一種ですが、その優れた特性から変圧器や塗料、潤滑油、印刷インキ等に使われていたが、昭和40年代後半に人体や環境への影響が指摘され使用が禁止されました。
食物連鎖で動物の体内にも蓄積され、発癌性があり、また皮膚障害、内臓障害、ホルモン異常を引き起こすことが分かっています。
廃棄物となったPCBの保管から無害化への処理が酒田港で行われているのは未来の酒田港にとって大変に意味があるものです。

このほかにも沢山の循環型リサイクル工場が酒田港にあります。
酒田港 リサイクル関連事業

現代は工業製品の製造、使用、廃棄、というサイクルがとても短く、環境への負荷を考えると循環型リサイクルは確立しなければいけないと思いますが、酒田市はその中核都市となっていくと思われます。

環境への影響評価はこのようにリサイクルをする事まで考えると、たとえば車などは新たに製造するよりも長い期間使用する場合という、総ライフサイクルでの環境影響評価を考える必要があると思いますが、現代の短い使用期間でのライフスタイルをかえるという意識改革が必要ですので、これは現代人にとって簡単ではありません。
それは別として酒田市はこのように未来を見据えてリサイクル指定港になったのです。

また海洋センターはその他にも見所が一杯です。
海の科学館や加山雄三ミュージアムにも勝るとも劣らない船舶模型は大変にすばらしいです。しかも全てが寄贈というものです。絶対に見ていただきたいです。
船模型

ちなみに加山雄三先生の作品は大変にすばらしいので一度ご覧いただきたいと思います。
加山雄三先生に関するブログhttp://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=398

長くなってしまいました・・・。最後は空撮です。
南側からの空撮です。
空撮
女性 「これは海洋センター・・・・じゃ・・・・」
うさぎ 「ジャンプしたんで空撮です!」

うさぎ 海洋センター入場無料です。職員の方は優しくて大変美しい方です。ハート

うさぎ 酒田市ブログはこの第10回をもって完結といたします。長い間ありがとうございました。長々と駄文を書いてしまい申し訳ありません。
来シーズン落札できましたらまた続酒田市役所を書こうと思います。

女性 「えっまた書くの?」
うさぎ 「書きたいですハート
女性 こんにちは 広報委員4番です。

ついこの間まで「暑いですね」が挨拶の言葉でしたが、朝晩は涼しくなり秋の気配を感じます。
暑さで寝不足だった夏の分を補う様に、よ~く眠れます。寝ても寝ても眠いですzzzz
秋の夜長、読みたかった本を今日こそ読もうと思っても、気がつくと寝てしまっているんですよね。いつ読み終わることやら・・・

さて、みなさん、夏はどこかへ行かれましたか?
我が家は、和歌山県にあるアドベンチャーワールドに行ってきました。関西圏では唯一、行ったことのない県でしたので一度行ってみたいと思っていました。
アドベンチャーワールドには5頭のパンダがいます。パンダというと上野動物園を思い浮かべますが、実はアドベンチャーワールドのパンダ一家は中国以外では世界で一番の大家族なのです。
子供の頃、見たカンカン・ランラン以来ですから、ウン十年ぶりのパンダです。
現在、野生のジャイアントパンダは、約1,600頭といわれ絶滅の危機に直面しています。アドベンチャーワールドでは、1994年より、中国成都ジャイアントパンダ繁育研究基地の日本支部として、ジャイアントパンダ自然繁殖のための日中共同研究を世界に先がけ進めています。
同園生まれのパンダ11頭のうち10頭のお父さんである大黒柱の永明は今年21歳。人間でいうと63歳くらいだそうです。
パンダの繁殖は人工授精が多いのですが、永明は自然交尾が出来る、世界でも10本の指に入る繁殖能力に優れたオスと言われているそうです。
「PANDA LOVE」というパンダの屋内施設があるのですが、ガラス張りでは無いので、間近にパンダを感じることができます。永明お父さんはというと、暑いのかベタ~っと寝ていて、トラの敷物の様でした。世界の10本の指に入る男のオーラは感じませんでしたね(笑)
どのパンダも寝てる時はダラーンとしてますが、食べる時は意外と動きが早かったです。焼き鳥を食べる様に笹を器用にもって食べていました。ガラスが無いので、笹を食べる「もしゃもしゃ、ボリボリ」という音まで聞こえました。パンダは1日に15キロ~20キロの笹を食べますが、消化できるのは2割なので排泄物は12~16キロにもなるそうです。便秘しらずというか、燃費がわるいというか・・・
尻尾はぬいぐるみやイラストでは黒色にされがちですが、白でした!体の割りに尻尾が小さいので、印象に残らないのかもしれませんね。
その他の動物では、ホッキョグマが可愛かったです。餌を目がけてのダイブは迫力満点でした。
お昼ごはんに、とろ~りチーズに描いたトラ ハンバーグを食べました。見た目重視なのかと期待していなかったのですが、本格煮込みハンバーグで美味しかったです♪



南紀白浜の絶景ドライブと和歌山観光、次回につづきま~す。


過去パンダブログ http://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=358

女性 こんにちは。広報委員5です。
日中はまだ暑い日もありますが、爽やかな気候になり過ごしやすくなりました。朝晩は肌寒さを感じることもあるほどです。
この気温差で体調を崩さないように気をつけなきゃ。

今日は手作業の定形外封筒を検査機で検品作業をしました。
検査機ではカメラと厚みセンサーにより、連番と厚みのチェックをします。手作業は数量管理を細かく行い、作業手順も決まっているのですが、それでもやはり不安があります。機械検査を行うことで、正しい作業だったかの最終検査の証拠を残します。

検査機を通ったものは、出口で封筒の汚れをチェックし、最後に糊付けのチェックをしながら郵便番号仕分けをして作業終了です。

最近は機械作業だけではなく、手作業であっても作業の履歴を残す仕様であったり、手作業での作業履歴の提出が必要な仕様であったり、今まで「クレームがなければ良い」 または「クレームが来てから考える」でしたが、工場から出荷前の合否判定の根拠と証拠を残し提出するという方向になってきています。


うさぎご無沙汰してしまいました。
もうすっかり涼しくなってしまいました。
最近の近況は・・・・、ちょっと前に考えていた中綴じ製本透の搬送補助装置のテストを行ないました。
かなり難しいと思われる製本等もテストしています。
近々お見せできると思います。

今日はUV-LEDのランプとベルトの耐久性についてです。
うさぎマークの搬送機はゴムベルトにエアで用紙等を吸着して搬送しています。
UVインクの硬化には385ナノメートルの紫外線を照射して硬化剤を反応させてインクを硬化しています。

その際・・・・・、「紫外線には物質を劣化させてしまうという性質があるためベルトが変質してしまう」というリスクが有ります。
そのテストを行っていますが、その中間レポートです。

テストは2種類のベルトで行っています。
ベルトメーカー名は伏せますが、このテストでベルトの性能の優劣を決めているわけではありません。
あくまでも「紫外線の照射による変質や劣化」のテストを行っています。

用紙の搬送で重要なのは摩擦抵抗係数であったり、表面の材質であったり、また機械の設計上は最小プーリー径などベルトの決定には様々な要素があると思います。
そのなかで「385ナノメートルの紫外線に対する劣化」というのは資料がベルトメーカーにもLEDメーカーにも無かったので、浜松ホトニクス様と当社でテストを行っています。
テスト期間は半年程度で、テスト方法以外は、ほぼ何の相談も無く、同一方向の結果が出るか?という個人的な興味もある中で、テストを行いました。
本日、別件で浜松ホトニクス電子管事業部様とお話しする事があったので「あのテスト・・・・どういう結果が出ていますか?」って事になりました。

浜松ホトニクス様はLEDメーカーとして色々な方法でテストをされています。
たとえば、強い紫外線で早く劣化させる等のテストはメーカーならではのテストであり、うさぎはあくまでも本番やデモで印字をしながらどうなるか?という生産機でのテストを行っています。

その結果・・・、なんと浜松ホトニクス様と当社でほぼ同一方向の結果がでております。
搬送ベルトの選定にはずいぶん時間とエネルギーを使いました。
まだまだテストは続いています。

まだ確認しなくてはいけないことがいっぱいありまして・・・。
ニヒル 「えっ・・・・そんなにあるって大丈夫なの?」
うさぎ 「多分、大丈夫と思います。」



提供:ビジネスブログのe売るしくみ研究所..