うさぎ ご無沙汰してしまいました。
忙しくなってしまうとついつい活動報告がおろそかになってしまいます・・・・。

そうなんです。ここ最近はちょこちょこと来期の納税について・・・・という話題がでます。

今回は弊社での納税通知書作業の作業を見ていただきました。

デュプロ ブッキングマシン 製本不良が出ない構造になっています。スピードは他メーカーに比べてちょっと遅いですが、お気に入りです。ハート


動画ですhttp://www.youtube.com/watch?v=liXxdthgWq4

ブッキングインサーター インサーターに弊社設計のEZフィーダーを取り付けて「製本部分とコンビニ部分のペラ」をインサーターに投入します。

画面をクリックすると動画が見られます。

製本部分は7枚 + バラ部分5枚 という仕様です。
動画の速度は4700通/時間から4800通/時間はでています。
もちろんテスト用紙での運用です。
右奥のモニターでは、OCR-Bの連続番号を検査、記録した結果とGS1-128のバーコードの検証および結果を記録します。
その上で検査結果が正しいと判定したものをインサーターに投入します。
もちろん厚みも検証します。

欠点は設備が高い事です・・・。しょぼん

この機械販売もしますが、作業を受託することが本業です。
よろしくお願いします。
  



 
お久しぶりです。珍自研のにわとりミッチーです。
珍自研については・・・、http://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=255
やっと執筆の順番が回ってきました。当社のブログは書きたい従業員がいっぱいいるため、常に順番待ちの状態です。今ですとおよそ1年待ちらしいです。このままでは定年までにあと何回書けるか?
貴重な機会です、話題を吟味しなくてはいけません。

みなさんは昼食時にうどん屋さんを利用されますか?
弊社、江澤事務器は名古屋(正確には織田信長ゆかりの清須市です)の会社であり、わたくしミッチーも名古屋人なのですが、同僚との昼食時に選ぶ外食メニューが麺類の時はうどん、そば、ラーメンがほとんどです。
名古屋を代表する麺といえばきしめんがありますが、普段意識して選択するようにしないとなかなか食べる機会がありません。
名古屋人でも、へたをすると最後に食べてから数年の間隔が開いている人もいるはずです。
わたくしミッチーは新幹線をよく利用するので、もともと名古屋駅のホームで思い出したように食べたりしていたのですが、こんなきしめんを不憫に思い、思い立って先日から名古屋の老舗うどん店を回って取材を始めました。


このため毎週土曜日の日中は市内の老舗うどん屋さん巡りで結構な忙しさです。
老舗のお店は日曜お休みの店が多いのです。その際気を付けていることは「丼ものと組み合わせたセット」でなく(「素」うどんならぬ)「素」きしめんを狙うことです。
おいしそうなセットメニューに目移りしそうなところをぐっと我慢。なにしろ土曜日半日で2~3軒回らなければいけないのですから。(来週に行けばいいだけの話ですが。)
また、天ぷらなど種物を載せてしまうと味が変わってしまうため、でもあります。「素」のきしめんといっても各お店ごとに驚くほど違いがあります。
めんの厚み、つゆの色・味、上に載っている具も必ず載っているのは「かつおぶし」と「油揚げ」くらい。
当たり前と思ってイメージしている「ほうれん草」もお店によっては「わかめ」になったり、「みつば」になったり。「かまぼこ」でさえ入っているお店と無いお店があります。
ちなみに熱田神宮の参詣者に愛されている「宮きしめん」さんでは「しいたけ」が入ります。

数あるお店の中でも最近の私のお気に入りは名古屋市東区、正文館書店さん近くの「川井屋」さんという名古屋でも有名な老舗のうどん屋さん。
テレビで紹介されたラーメン屋さんならともかく、うどん屋さんでここの混雑ぶりはなかなかの見物です。
しかしながら当然のように大変な人気店で、昼食時はお二人連れでも相席が当たり前、なんと13時頃でいずれかの麺が品切れになる場合もあります。
店内は坪庭が見える落ち着いた雰囲気に、年季の入った器類。かといって決して気取った高級店ではありません。昔からの常連様に愛されていること、がそこはかとなく伝わってきます。

外観の写真を撮るつもりでしたがきしめんに有り付くのに夢中でうっかりしてしまいました。幸い、この近辺をよく通る女子社員がいますので代わりに撮影をお願いしました。

もの凄い行列です。それにしても・・・・・・。と思いきや!こちらは道路を挟んだ向かい側にある甘味処の「相生」さんです。炎天下の下・・・・。みなさん、かき氷、あんみつを食べるため、流れる汗をものともせず並んでいらっしゃいます。(これはこれで凄い光景です。)


ミッチー「お願いしたのは川井屋さんの写真じゃ・・・・」

女性女子社員1「えっ違うの!?だって並んでたからてっきり・・・。でもいいじゃん、そもそも私、きしめんよりもあんみつがいいし」

ミッチー「き、君達はそれでも名古屋人かっ!」

女性女子社員1「三河人ですけど。」
女性女子社員2「わたしは静岡人で~す。」

にわとりミッチー「今回は一年間暖めたテーマだぞ!!」

女性女子社員2「次は相生さんを取材してー」

にわとりミッチー「次回は私の自慢の『牛乳のフタのコレクション』の話題です。」


うさぎ 最後に・・・・
名古屋で伝説のきしめん屋を・・・・。
名代きしめん 住よし JR名古屋駅 東海道5・6番ホーム店 (すみよし)
営業時間 7:00~20:00
うさぎ 先回はタイトルと内容が違う!!という
厳しいご指摘を内外から頂きました。申し訳ありません。

夏の終わりのイベントに少し触れてから、タイトルの納税通知について書くつもりだったのですが、書き出したらラジオ体操ネタだけになってしまいました。
さらに今、思い出したのですが、 「あの時はまだ佐賀県の吉野ヶ里遺跡は発見されていなかった!!」 思い出してしまいました。

邪馬台国はどこだ?論争はまだ結論が出ていないですが、吉野ヶ里だったとする有力な証拠が多数出土しています。

たしか
NHK プロジェクトXでは昔から土器などを発見していた学校の教師の父と息子がいた。父は「必ずここには相当大規模な遺跡がある」と言い残し他界。
息子は大人になり教育委員会に勤務する。
何もない佐賀、吉野ヶ里は工場誘致の方針が決定していて土木工事を始める。

「ここには絶対何かある!!」 と 「公共工事の邪魔をするな」 の両者が対立する。

「最後に1箇所だけ掘らせてやる。それで学術的に価値が高い遺跡の証拠が発掘されなければ工事を続行する」という事になった。
邪馬台国がここにあった・・・、またはそれに近いか、匹敵する証拠を一回の試掘で掘らなければ・・・・。

さぁ一度だけのチャンス・・・。どこを掘るか?
というビデオを吉野ヶ里遺跡で見ました。感動しました。
NHKでは見ていません。

現在、佐賀県吉野ヶ里は工場誘致で経済を活性する方針を転換し、観光で経済を活性化する方針に変更。
吉野ヶ里遺跡です。
http://www.youtube.com/watch?v=VFsIL_gp8vY&feature=related

女性 「あの~・・・今回は仕事と離れすぎデスケド・・・・。」
うさぎ はっ。次こそ仕事します!
うさぎ まだまだ暑いですねぇ。
今日で朝の巡回ラジオ体操終了しました・・・・。
今年は一度も朝のラジオ体操に参加できませんでした。夏の風物詩なのに・・・・。

はじめて朝の巡回ラジオ体操に参加したのは、佐賀県でした。
10年以上前・・・・夜中に一般道を走っていたら・・・・
「8月16日NHKラジオ体操会場」と言う文字とラジオ体操イメージキャラクターの佃公彦氏のほのぼの君の看板を発見!!
興味があったのでそのまま朝まで待機・・・・。
5時30分頃から軽トラで地元の方が集まってまいりました。
その数ざっと2000人はいたかと・・・。

最も感動したのはなんとピアノは生演奏でした。猛烈に感動しました。伴奏は加藤由美子さんでした。
それ以来各地でラジオ体操に参加していたのですが・・・・、今年は行けませんでした・・・。

ちなみにラジオ体操の放送開始はなんと1928年11月1~です。

ちなみに当時は現在のピアノ伴奏の体操ではなく、伴奏無しです。
ちなみにラジオ体操は第1と第2があるがそれぞれ13の体操から構成されています。

ラジオ体操の歌
新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 青空仰げ ラジオの声に 健やかな胸を この薫る風に開けよ それ一、二、三――

うさぎ 今、あなた歌いましたね!
むむっ 「歌ってません」
うさぎ いーや絶対歌ったハズ
むむっ 「だからちょっと危なかったけど歌ってないってば・・・・」

女性 と言うことで今回は題名とは全く違うことで終わってしまいました。次回デモンストレーションについて書かせます!!怒

女性 広報委員3です。 業務レポートも今回で233回を数える事になりました。
ニヒル そんなにしてないでしょ! 仕事以外ばっかりで!
女性 ・・・・・・

本日は、インクジェットプリンタでDMの宛名印字をおこないました。 使用機械は京セラインクジェットUVプリンター及び浜松ホトニクスUV LED照射装置です。
UVインクですので用紙を選ばすインクを印字して硬化させることができます。
ハガキや製本に印字バーコードを印字、地図を印字、ナンバーリング、等色々可能と思います。

ところで・・・・
オリンピック中継も終わり、高校野球も終わり、今年はずいぶんとテレビにかぶりつきました。

テレビといえば、アナログ放送からデジタル放送に切り替わって早1年経ちます。
もうご家庭のテレビはデジタルテレビに切り替わっているか、デジタル放送が受信出来るようになっています。
テレビと言えば今でこそ液晶ですが、アナログ放送の自体の主役は長い間ブラウン管でした。

マニアな私が一番記憶に残っているアナログテレビといえば
1982年発売のセイコーのテレビウオッチ(アナログテレビ内臓の腕時計)です。
http://www.epson.jp/ms/1982_12.htm


テレビ部分は、1.2インチのモノクロのアクティブマトリクス液晶パネル(当時世界最小テレビ)で時計部分は、アラーム、クロノグラフなどの機能がついていました。
当時の技術では、テレビチューナーを腕時計に組み込むことができなかったらしくチューナー部分は時計とは別に腰につけるようになっていました。
音は当然イヤホーンで聞きます。当時の価格は108,000円もしましたが1982から83年の2年間だけの発売で13,000個売られたそうです。
当時この私もこの腕時計がほしいと思っていましたが、この価格とテレビチューナー別にあることから断念しました。
今でも、テレビといえばセイコーのテレビウオッチのことを思い出します。


うさぎ こんにちは。暑い日がまだまだ続いています。
今日は日本マンホール研究会の千葉支部が設立されましたのでご報告申し上げます。

久々の出張ブログです。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・

ニヒル ずっと出張ブログですケド・・・・


続きの記事を読む▽
うさぎ 先回のDrupaレポートはアウグスブルグとヤンマーの関係になってしまいました。
このようにアウグスブルグは紡績、自動車、と古くから工業が発達した地域でした。

アウグスブルク市は人口26万人、紡績・製鉄・金属・研削機・工具・研削用資材・研削用工作機械・測定・試験機器切削機衣料・自動車・戦時中は軍需産業地帯として空爆もありました。
しかし古くからの町並みなど歴史的な建造物は被災を免れました。
2000年の歴史を誇る古都で、ルネサンス様式でデザインされた市庁舎やモーツァルトのゆかりの地として芸術・文化・以外にも工業都市として知られています。

今回、ベーヴェシステックジャパン様のツアーに参加させていただきましたので会社訪問もありました。
何とヘリコプターで訪問で航空写真です。
女性 「こら!ウソををつくな!」


となりにはメッサーシュミットの元本社と工場です。

ニヒル ちなみにメッサーシュミットとは
ドイツの航空機、自動車メーカーであり、第二次世界大戦時におけるドイツ空軍の戦闘機、メッサーシュミット Bf 109やメッサーシュミット Me 262などが有名である。
燃料噴射装置を装備し逆Gの操縦の場合でも燃料を機関に送ることが出来たなど当時からドイツの機械に対する緻密さが現れていた。
戦後は敗戦ゆえに航空機の製造を禁止され自動車メーカーとなった。

写真は第二次世界大戦の主力戦闘機bf109と戦後自動車メーカーとして製造したkr200(前後に2人乗り)
文章、写真はウィキペディアより (一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88


朝の散歩はきもちいーなぁ~。
うさぎ 「おっマクドナルドを発見!」 日本でも30年以上お世話になっていないのでちょっと入る勇気がありませんでした。

うさぎ「よく見ると路面電車がはしっています!」

女性 「前回の夜の写真でも走ってましたよ。」
うさぎ 「気がつきませんでした・・・。」

さらに・・・
駅にも行ってみましたが、ヤンマーの山岡孫吉寄贈の庭園は気がつきませんでした。写真もありません。
でも・・・・
ドイツの駅は自由にホームへ出入りできるので鉄道マニアのあの方へ・・・


さらに車好きのうさぎは働く自動車を発見 「超絶にかわいいです。」営業車で欲しい!!


歴史と文化に鈍感なうさぎですが、深く感じ入りました。外国の方から見た京都 奈良なんです。きっと。


そして皆様ご期待の・・・・。
ポストは


そして


アウグスブルグの市章です。ツィベルヌスです。デザインされているのはマツカサです。これは以前はブドウであったが1467年にこれに変更された。
マツカサはローマ軍の軍団識別標識であり、後にラエティア属州の首都のシンボルとなった。現在もツィベルヌスは市内の至る所で見ることができる。市電にはカラーでデザインされていましたが・・・、写真有りません。

参考文献ウィキペディア 一部 加筆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF

おまけです

飛行機の搭乗口ですが、ピノキオの鼻になっていて通路の長さと連動して伸びたり縮んだりします。 

 
うさぎ Drupaからずいぶん経ってしまいました。
Drupaはデュッセルドルフで開催されていましたが、アウグスブルグへ移動しました。

アウグスブルグはとても古い町並みが印象的でした。

たしか紀元前にローマ皇帝のアウグスツスが治めていた・・・。
世界史がとても弱いので・・・・。

この地域は昔から工業が盛んだったようです。
戦争中は軍需工場もたくさんありました。

世界初のディーゼルエンジンはアウグスブルグのルドルフ・ディーゼルが発明した物です。
従来の石油エンジンに比べて、燃料消費が1/4ととても効率が良いエンジンでした。

これに着目したのが山岡孫吉です。滋賀県の出身の山岡は貧しい農家の出身でしたが、「農民に役立つ物を作ろう」と決心し、山岡発動機を立ち上げました。
山岡は言葉も全く通じないドイツに乗り込み、ルドルフ・ディーゼルから技術を学びました。
帰国後、山岡は更に改良を重ね、小型ディーゼルエンジンを開発しました。

これが縁で山岡の出身地、滋賀県長浜市とアウグスブルグは戦後、姉妹都市の提携をしました。
山岡は豊作のシンボルとしてトンボを商標登録しようとしたが、静岡県の醤油メーカーがすでに商標を登録されていたので、トンボの大きい種類のオニヤンマにちなんでヤンマーとしたらしい。
うさぎはてっきりヤマオカのヤとマゴキチのマからと思っていたのでしたが・・・・。

またヤマオカは技術を教わったルドルフ・ディーゼルとアウグスブルグに感謝の印として、アウグスブルクの駅前に日本式の記念石庭苑を建造し、それがドイツからの金賞牌、大十字功労勲章の受章につながった。

山岡は燃料消費が少なく、自己着火ゆえに一度始動すると動き続けるディーゼルエンジンは、日本の漁船にぴったりだと確信しました。
数回ドイツ、アウグスブルグへ渡り、英語もドイツ語も出来ないところ、ディーゼル博士に教えを請い、商業化へ成功しました。

「一度かかると止まらない漁船向きエンジン」といううたい文句で、エンジンは日本中の漁港で船舶用エンジンとして使われることになりました。
ある日、青森の漁師が、嵐の中、漁に出かけたのです。

船は遭難し、エンジンは停止しました。漁師の相続人は、販売会社を訴え、当然賠償すべしという判決が出ました。それを山岡孫吉は、代わって自分が損害金を支払い、遺族に詫びをしました。

ところでヤンマーと言えば「ヤン坊マー坊天気予報」ですが・・・・
てっきり農業関係者が明日の天気予報は見るから良いPRになると考えて天気予報のスポンサーになったと思っていましたが・・・・、

山岡孫吉は、「ヤン坊マー坊天気予報」を、会社が続く限りやり続けるように託して昭和37年、逝去したのです。いくら性能がよいエンジンを搭載した船でも、嵐の時に船出したらひとたまりもありません。安全を確認して出漁して下さいという、山岡孫吉の精神が今日まで続いているのです。

アウグスブルグの事を書いていたらヤンマーの記事なってしまいました・・・。

サービス動画ですハート
http://www.yanmar.co.jp/special/YM/history/swf/1959.swf
1959年(昭和34年)の気象記念日(明治17年制定)にあたる6月1日よりスタート




うさぎ 暑いです。オリンピック終了してしまいました・・・。
日本の選手の方お疲れ様でした。テレビを見て自分の気持ちが奮い立って何かを始めようと決意された方も多いと思います。

よく「マラソン中継の後には公園で走る人が多い」という噂を聞きますが・・・・。

ところで日本中でお盆休み進行形であります。
各地でお墓参りや、花火大会、ラジオ体操、スイカ割り、交通渋滞などが盛んに開催中です。

でも・・・・、

弊社はお盆休み無く営業中です。
ダイレクトプリンター、ラベリング、インサーターとフル稼働とは言いませんがやや稼働です。

ねこ こんにちは、広報委員会3です。

先回うさぎが「夏と言えば納税通知」とのたまっていましたが、
夏と言えば「エアコン」でしょう。

日に日に暑くなる今日このごろ、いかがお過ごしですか。
暑い夏を快適にすごす必需品といえば、ラジオ体操とエアコンです。

今回はこのエアコンのちょっとしたネタをお届けします。

このエアコンの国産第一号は1952年、日立製作所が開発した「EW-50」だそうです。
製品重量は100kg、価格は24万円でした。
当時の大卒の初任給が5,600円の時代でしたのでかなりの高級品といえます。
3年分の給料以上のエアコンです。
計算式 5600×12ヶ月=67200円(年収、賞与含まず)

現在の初任給を20万円程度と考えれば今のエアコンは4~5万円で購入できるので技術の進歩と競争の原理はすさまじいです。
ちなみにEW-50は京都の都ホテルに納品されたそうです。

当時の当時のエアコンはウインド型(窓型)と呼ばれ、
窓をふさぐようにして窓枠に取り付けるタイプで、
今日のような室内機と室外機に分けるセパレートタイプ(スプリット型)ではなく、
窓をガタガタと揺らしてうるさく冷房能力も小さかったそうです。
また、この頃のエアコンは冷房専用で「クーラー」とも呼ばれていました。

スプリット型のエアコンは1961年、東芝の開発した「CLU-71」(室内機)と
「CLA-7H」(室外機)が世界初とされています。

それから進化し続けたエアコン(普及率の全国平均は88.1%)は、生活に欠かせないもの
になっています。

これからも、設定温度を下げすぎないようにエアコンを使い暑い夏を乗り切りませよう。

参考までに
日立のみですが、プロダクトヒストリーが有りましたので・・・。
http://kadenfan.hitachi.co.jp/ra/history/pro_01.html

1972年の  RAC-221 では従来の空気を吹き付ける方式から空気を吸い込む方式に変更されています。これは興味深いです。
よくよく考えれば車のラジエーターもそうですね。







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